クリスマスの日、オランダの治療的拘禁施設(TBS)を訪れて考えたこと:「罰」と「回復」について

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12月25日クリスマスの日に、教会のメンバーとクリスマスキャロルを歌いにTBS(Terbeschikkingstelling/治療的拘禁)施設という、重い犯罪を犯した人の治療的拘禁施設にいきました。クリスマス礼拝を一緒にした後、コーヒーを飲みながら受刑者(患者)の人たちと交わりをしました。(※TBSでは刑期を終えた後、治療目的で収容されるため、本文では便宜的に「受刑者(患者)」と表記しています)

10年以上毎年行っているイベントだそうで、お互い名前を伝えることなどは許されていませんが、楽しみにしてくれている人たちもいました。曲が終わる度に拍手をしてくれ、一曲ごとに一人一人の顔が柔らかくなっていくのを感じました。刑務所と言われていたので、初めは綺麗で明るく整った施設や、身なりの良い格好の人たちの様子に驚きました。誰が受刑者なのかも分かりませんでした。

一番感じたことは、受刑者たちに人権が与えられているということ、また罪を犯しても罰を通してではなく、どうすれば同じ犯罪を防げるかというオランダ(EU)の姿勢と私が知る日本の制度違いでした。 私はこれまで日本の受刑者に対する制度について考えたことも、疑問をもったこともありませんでした。この経験を共有することで、議論にもあがりにくいこの話題について問い、考えるきっかけになればと思います。

オランダの視点:PunishmentよりもRecovery

TBS施設とは、殺人や放火、性犯罪など社会に重大な危険を及ぼす犯罪を犯した、精神障害・人格障害がある、再犯リスクがあるという全ての条件を満たす人が、刑務所で刑期を終えたあとに入る施設です。目的は、治療を通して社会復帰を目指すということで、生活スキル訓練、職業訓練、カウンセリング、外出訓練などがあるそうです。施設の中には教会、プールやグラウンド、サウナもあり、家族も泊まることができるそうです。とても綺麗で充実した施設だと感じました。

日本にこのような治療を重視した保安施設はほとんどなく、刑務所といえば罰する場所であり、いかに刑事責任を受刑者に問うかが重視され、治療は補完的という立ち位置だと思います。

一方、この施設の作りからも、精神疾患を治療せずに社会に戻すことこそが、最大のリスクであるというオランダの考えが伝わってきました。Punishument(罰)ではなく、Rehabilitation/Recovery(更生・回復)が重視されていると思いました。「恵まれている」ように見える環境も、政府がここに資金を投じることには、それが社会の安全のためになるからという合理的な考えに基づいているのだと思います。

日本の死刑制度について考えたこと

「命を救い、回復させることで社会を守る」というオランダの姿勢を目の当たりにしたとき、「命を奪うことで罪を贖わせる」日本の死刑制度について考えさせられました。以前、『死刑について』(平野啓一郎)を読んだ際に、死刑とはある状況下では人間が人間の生死を決めることを容認する制度なのだということを知りました。

礼拝のメッセージは「クリスマスの日に羊飼いたちは何も持たずにやってきた。けれど、何も持っていないからこそ、生まれたてのイエス様を抱き上げることができる、必要な時に必要な人に手を差し伸べることができる。何ももっていなくても、そのままで良いのです」という話でした。

牧師先生が1人の受刑者を前に呼び、その人に羊飼いの洋服を着させ、赤ちゃんのイエス様の人形を渡しました。彼がその赤ちゃんのイエス様を抱いたその瞬間に、表情が本当にその存在を、心から愛しそうに、申し訳なさそうに、そして感謝をしている、というそんな優しく見つめる目になりました。そして、その人形を彼が彼の両親に渡し、彼の両親もその赤ちゃんのイエス様を苦しそうに、でも心から感謝をしているという目でしばらく抱いていました。

その後、コーヒーを飲んで彼と話している時に、複雑な状況で育ってきたことも少し伺いました。このことから、犯罪は個人の問題だけではなく、その人の家庭環境や教育、孤独などが重なって生まれる、社会的な問題であり、自分がそういった厳しい環境に置かれたら絶対に踏み外さないとは言い切れないと思いました。

誰もが罪を犯しうる立場になる可能性があると思います。

知り合いのオランダ人夫婦と話していたときに、「人間は誰にでもやり直すチャンスが与えられるべきだ。オランダでは150年前に死刑は廃止している。人間が人間の生死を捌くことは危険だ」という話を聞きました。

日本で死刑制度の話をすると被害者側の気持ちはどうなるのか、と問われます。大事なのは、その被害者遺族への国による心のこもった十分なケアだと思います。罪を罰することだけで、その深い苦しみと痛みが消えるわけではないのだと思います。犯罪者を罰するという発想よりも、憎しみから許しへというプロセスを支えることこそが国や社会が担うべき役割なのだと思います。

そして、その一度起きた犯罪をどうすれば防げるのか、なぜ起きたのかに向き合うことがより良い社会にとっては最も大事であり、その意味では殺してこの世から抹消してしまう死刑制度は危険で、再犯リスク防止には繋がらないのではないかと考えるようになりました。

疑問をもつ、対話をめざす

私自身、今回の経験をするまで日本の制度やそのベースとなる考え方について疑問を持っていませんでした。海外の考え方を知ることで、日本を客観的に見ることができました。

「よく知らないから話題にしない」「議論をしない」というのも違うのかなと思い、自身の経験という事実から生まれた自分の考えを言葉にしようと思いました。決して白黒つけられる物事ではないからこそ、違う意見の人とも対話をすることが大切だと思います。当たり前について、皆が自分の意見を話し合い学び合うことができればと思います。

12月25日といえば、家族で過ごす大切な日です。多くの留学生は母国に帰り、オランダ人も家族と過ごしますが、この日に教会の人たちと出かけて、この施設の中の教会で礼拝をし、自分の存在を感謝してもらえたのは率直に嬉しかったです。これはこの施設の人々、支援をする人たちから私に与えてもらった機会で、そのおかげで私は異国でクリスマスを1人で過ごさずにすみました。

与えられた全ての命は平等に尊く、神様から与えられた意味があるのだと改めて考えさせられました。

みんなで囲んだクリスマスの食卓(中国人留学生向けのミニストリーグループに属しているので中国式のお祝いでした)

参照

TBS Nederland. (2025b, juni 3). Home – TBS Nederland. https://tbsnederland.nl/

平野啓一郎. (2022). 死刑について. 岩波書店.

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