2024年6月23日から25日にかけて、日本バプテスト女性会が主催されている「沖縄(命どぅ宝)の日6.23学習ツアー」に参加してきました。命どぅ宝(ぬちどぅたから)とは「命こそ宝」という意味です。私にとって今回が初めての沖縄訪問でしたが、「自分の無知」を知り、「命の尊さ」を実感する経験になりました。ツアーの様子や感想をご紹介します。
はじめに(沖縄について)
1945年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸し地上戦が行われました。20万人が命を落とし、そのうち9万4千人は一般人だったと言われています。集団自決も強いられ「軍は住民を守らなかった」戦争だと言われています。6月23日は日本軍の牛島司令官が自決し、組織的戦闘が終了した日であり、沖縄では慰霊の日(命どぅ宝の日)と定められています。現在、沖縄の15%は米軍基地です。沖縄の国土面積は日本の0.6%ですが、日本の米軍基地の70%が沖縄に集中しています。
1日目:平和祈念公園と糸数アブチラガマ訪問
平和祈念公園
平和の礎(いしじ)には24万人以上のお名前が刻まれています。国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなったすべての方々の名前が並んでいます。石碑の前で泣く車椅子に乗ったお年寄りや、手を合わせる子供たち、輪になってお弁当を食べる家族の姿が印象的でした。この名前一人ひとりに大切な人がいて、人生というストーリーがあったのだ実感しました。


骨を掘る男 具志堅隆松さん
具志堅さんは沖縄戦没者の遺骨を40年以上にわたり収集し、これまでに400名の遺骨を探し出しておられます。普天間移転先の辺野古では埋立が始まりましたが、軟弱地盤の故に大量の土砂が必要となり、未だ3,000名以上の遺骨が眠っていると言われている、沖縄南部の土砂を用いることが計画されています。具志堅さんは「戦没者の骨を、米軍基地の埋め立てに利用するなど考えられない」と、抵抗運動を続けておられ、慰霊の日に合わせてハンストを決行されていました。

糸数アブチラガマ
600名を超える負傷兵や住人が隠れたガマを見学しました。「ガマ」とは自然の洞窟のことで、沖縄戦では住民の避難場所や日本軍の作戦陣地、病院として使われていました。糸数のガマは全長270mと非常に長く、病棟や手術室、食料・衣料倉庫やカマドなどがあり、一番奥には死ぬのを待つ人たちが置かれた、一切光の入らない「立ち入り禁止区」がありました。また、この中にも「慰安所」があったとのことです。真っ暗で悲惨な環境の中で最期を迎えた多くの方がいたと知りました。

2日目:伊江島見学(命どぅ宝の家)
伊江島は沖縄戦の縮図と言われる場所で、最も早い時期から飛行場の建設、住民の疎開、空襲、住民の戦闘参加が行われてきました。

伊江島で生涯、対話を基に非暴力で土地闘争を行ってこられた阿波根昌鴻さんが設立された施設「わびあいの里」を訪れました。障害者への仕事の提供や人々の交流の場となる「福祉村」を目指し開設された場所です。その中に「ヌチドゥタカラ(命どぅ宝)の家」という反戦資料館があります。平和のためには戦争の原因を知らなければならないという阿波根さんの考えを基に、戦争の遺品や土地闘争の記録など、様々な展示品が置かれていています。

沖縄戦を生き延び、反戦活動を続けてこられた、現館長の謝花さんのお話しからは、「平和の武器は学習である」ことや、「農作物を育てることができる土地こそが人間に最も必要、その土地を次の戦争準備に決して使わしてはならない」ことなどを学びました。資料館では様々な展示品から、戦争の根本的な原因とそれによって導かれる悲惨な結果、土地闘争の歩み、平和を目指すものの心得など、阿波根さんのお考えに触れることができました。





平和を次の世代に繋ごうと闘い続ける人たちがいる。非暴力で、賢く、愛を持って、対話をもとに解決を目指すやり方があるのだと知ることができました。
これまで私は学校で学ぶ内容や報道から、日本は戦争で多くの被害を受けた側だと思っていた面がありますが、日本は宣戦布告をした上で、多くの国に侵略をし人を殺した加害者でもあると、沖縄平和祈念館や反戦資料館を訪れて、理解するようになっていきました。また、現在も、沖縄の多大な犠牲の上に私たちの日々の生活があり、今も沖縄に大きな問題を押し付けているのだと身をもって感じました。教科書では習わない事実がたくさんあると知りました。
学び・感想:「命どぅ宝」こそ最も大切な考え
この時期の沖縄訪問を通して「命の尊さ(命どぅ宝)」について初めてきちんと向き合ったように思います。戦争の面影がない何不自由のない時代を生き、私自身命の重さを軽んじていた部分があったように思います。戦争をリアルに感じていませんでした。あらゆる物事に対して「『命<権力・お金』になっていないか?」と考えるセンサーがきちんと働いていなかったと感じています。大切な人たちが目の前で大勢なくなるという酷い戦争を経験された方々が、二度と同じ戦争を繰り返してはならないという強い思いで、すぐに欲望へと走る人たちと闘い、平和を守りぬいてきてくださったと知りました。その闘いは今も、これからもずっと続き、そのことを学んだ私たちもまた、平和を守り、次の世代を繋いでいかなければならないと思いました。そのためには、「なぜ戦争が起きたのか」をしっかりと理解する必要を痛感しました。
阿波根さんたちの歩みを知る中で、戦争より平和を作る方がよっぽど難しいことだと知りました。戦争を経験していない私たちが平和を作ることはさらに難しいのかもしれません。しかし、今回お話しを伺った方々は皆、焦りや憤りを感じておられました。それは、何が一番大切なのかを考えようとせずに、ただ流されるすべての人への怒りやもどかしさだと思いました。
これからは私自身、すべての命が平等に守られる政策や社会となっているのかを考える、戦争へ向かう国の動きには声をあげ反対の意思表示をする、互いに話し合いで解決することを目指す、この世の地位や権力ではなく他人の利益を優先し皆に仕える、そのようなことができる人になりたいと思いました。
今回の学びをこれからの人生に活かし、平和を作り出す1人になりたいと心から思います。

コメント
Mahoちゃんの決意とともに、実際に行ったからこそ、身を置いてみたからこそ感じられた思いや、たくさんの気づきのシェアを読ませてもらえて感謝です。
数年前に同じ時期おなじ学習ツアーに参加したときにじぶんが感じたこと、風景、出会った方々の顔、なんか次々によみがえってきたよ…
アブチラガマで体験した真っ暗闇と、そのとき想像した風景、悲惨すぎて絶望感に満たされてしまったあの感覚
辺野古で毎日座り込みをされている方の表情や、そこでもらったジュゴンの折り紙
6/23に見た平和の石礎が波打つように置かれている様、その前にいた人たちの表情
崖で起こった悲惨な状況とは裏腹に、摩文仁の丘の下に広がるあまりにも青く美しい海
じりじりと焼けつく太陽のあつさ
平和を願ってつむいだ言葉は思い出せないけど、声に出して祈ったら込み上げてきた涙と喉の感覚まで
ああ忘れちゃいけない
忘れられない
って思いました。
心に刻まれてるってこういうことか、って。
つないでいかないとね。
戦争より平和を作る方がよっぽど難しい、が響きました。